御座を語る人たちシリーズ(岩田準一)


明治33年、鳥羽で生まれ、昭和20年没。
主な著書「本朝男色考」ほか、
「志摩のはしりがね」など志摩に関する民俗の著書多し。



御座の大念仏
 −(『鳥羽志摩の民俗』昭45)より抜粋

  旧七月十四目、朝は寺にて施餓鬼、後に墓参。午後三時頃再び寺詣り。 夕刻から浜にて行なう。
  僧侶とその役人とシンモ(昨年の盆以来死亡したる人)の家族とが、浜辺 に薄縁を敷いて寄り集まり、約一とき程「御酒頂き」がある。その後、音頭取が舞台の上で大太鼓を打つと、シンモの各戸から一台宛出した傘ブク(傘鉾) に吊った切子灯籠または子供のシンモの家から傘ブクの代りに出した切子灯籠に、それぞれ火を入れて輪形になる。傘ブクヘは、切子灯籠の外に、男なれば紙入、煙草入、珠数、印籠、帯の類。女なれば髪、唐銅鏡、櫛、笄、珠 数、帯、鋏の類。すべて死者の生前身のまわりに所持した品々を吊るす。傘 ブクの後には親戚の者が附き添い、之に爪切不動尊の紋幟竿を持って交わる。 僧侶役人は小高い場所に席を設けて座す。
  「名のり」は、シンモの家から十二、三歳の少年を一行列に一人宛出す。 (輪行列はシンモの入数によって二組にも三絹にも分かれて順次に行なわれ るから、名のり読みの少年は一組に一人宛出されるのてある。
  先ず「地囃し」が始まる。大鼓で「ヒヤルロン、ヒヤー」と打つと、次の合唱が行列者によってなされる。
   阿弥陀たのも。(地囃し受け、ヒヤー)人は雨夜の月なるぞ。
   (地囃し受け、オーイ、オーイ)雲はれねども西へ行く。
   (地噺し受け、オーイ、オーイ)南無尊とや南無尊とや。
   誰かは頼まざらん。誰か頼まざらん。頼まざるべし。
  輪形の行列は三回まわる。それから「名のり」の少年によって戒名が読み上げられる。
   今宵この時ぽんごんとうぜん。
   〔この所戒名を全部続む〕
   十二因縁の夢さめて。
   一ちようぢき如来の地に至らんものや誰や。
 ドドン、ドドン、ドドンと寄せ太鼓が打たれると、行列は僧侶の所へ廻って行く。次の組の行列がこれに続いて行なう。
 この念仏の間にシンモの家から男の子が数人出て、人力に酒振舞をして廻る。酒は湯桶に入れ、肴には、鹿尾菜(ひじき)の芥子和、海松(みる)の麻酢味噌和、茄子の酢和、刻荒布の胡麻和等を重箱に盛って、各々膳の上に載せて、塗杯を以て勧め廻るのである。
 この夜、同じ場所で太鼓を囃しに盆踊が催されるが、富有なシンモの家では、「酒もる」と称して酒を出して死者のために盆踊をして貰う。
 十六日は「送り念仏」と称して、太念仏と同様の事が同じ場所で行なわれる。但し、この日は寺の堂守りが出て鐘を叩き、
 南無薬師瑠璃光如来、南無観世音菩薩、釈迦牟尼仏、大聖不動明王と七遍宛繰り返して唱える。これを「四仏事」という。(御座山本竹右衛門、山口弥六談)

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